福井県メガネ産業のはじまり
その歴史は、雪深く産業がない農業だけの地元の暮らしを向上させるため「国産のめがねの祖」とも呼ばれる増永五左衛門が、大阪からめがね職人を招き、足羽郡麻生津村生野(現・福井市生野町)で農家の副業として広めたことから始まりました。
1905年に始まっためがねづくりは、手作業や農家ならではの知恵を生かしながら生産を始め、次第に専門の製造者が、パーツごとに分業することで、福井・鯖江のまち全体が、ひとつの大きな工場としてめがねづくりを行うまでになりました。
第二次世界大戦が終戦を迎えると、めがねの需要がさらに高まり、セルロイドフレームやサングラス、そしてそれを作り出すブランドが数多く生まれました。
そして、1983年には、世界で初めて、軽くて丈夫なチタン製めがねを開発・生産をおこなうことで、国際的なめがねの産地としての地位を築き上げていくことなります。
また、近年では産地が培ったチタン加工の技術を医療や電子機器などに生かし、めがねづくりの熱い想いが、幅広い分野に広がっています。
国産メガネは、材質にも拘り、それにともなう技術も世界一です。
特にチタンの加工技術や肌にも優しいメッキ処理は、メガネだけではなく医療や他分野にわたり応用されております。
使うお客様の身になって開発されるのも国産の特徴です。
デザインを利用し補強を入れたり、手作業でしかできない加工もあるので職人さんの技術が光ります。
レーザー溶接による修理も加工技術とともに世界一です。
メガネとは、レンズが入って初めて実用品です。レンズの光学性や掛ける位置も日本人に合った鼻あてや耳掛けがあってこそ。
メガネフレームの設計は、見え方にも影響します。